『幻影の書』を読み終えた

『幻影の書』(ポール・オースター/新潮社/2300円)を読み終えました。ポール・オースターの小説を読むのは、『ミスター・ヴァーティゴ』以来6年ぶりです。
この小説の語り手「私」は、妻と幼い2人の子供を航空機事故で失った大学教授・デイヴィッド・ジンマー。12本の短編映画を残して失踪した監督兼俳優・ヘクター・マンの作品のひとつに出会ったことをきっかけに、絶望によって停止していた彼の人生が再び動いていった様子が描かれています。
この作品内には、語り手であるジンマーのストーリー、ヘクター・マンのストーリー、ヘクター・マンの短編映画、作中でジンマーが翻訳をしているシャトーブリアンのストーリーなど、時間も場所もレイヤーも様々な物語が存在し、それらストーリーのピースがオーケストラのように構成されて、「『幻影の書』という物語」に幅と深みを持たせています。作中の「結局のところ世界とは、我々の周りにあるのと同程度に、我々のなかにもあるのだ。」(P.16)、「私の周りにあるものは私の内部にもあり、世界を見ようと思うなら自分のなかを見ればよかった。」(P.109)というリフレインから、作中に描かれたさまざまな世界と自分の中に存在する世界の融合を妄想し、なんだかわくわくさせられてしまいました。めちゃめちゃ濃密な読後感とミステリのようなサプライズを与えてくれるひじょうにおもしろい小説でした。
印象に残ったことば:そこから九分半にわたって、作品はプルードンの有名な無政府主義のテーゼ「財産(プロパティ)はすべて窃盗である」の実演と化す(propertyには「財産」と「小道具」の意味がある)。(幻影の書/P.38/ポール・オースター/新潮社/2300円)


『幻影の書』