金がすべてじゃないなんて言えない

先日、コンテンツ学会第13回講演会『放送と通信の融合とはなんだったのか?〜『ネット調整制度に関する民間審議会』の検討から』(講師:境真良)に参加してきた。講演要旨は、「ネット調整制度に関する民間審議会における議論を紹介しながら、「放送と通信の融合」という言葉の意味を問い直してみたい」というもの。以前より境のブログを読んでいたので、一度、その話を聞いてみたかったのである。
講演は、境のオタクとしてのキャリアの説明からスタートし、以下のような流れで進行。

1.コンテンツ産業界の視座
(1)関心事項
(2)漠然とした答
(3)問題とするポイント

2.「放送と通信の融合」
(1)融合論
(2)コンテンツの流通と創作

3.「融合政策パッケージ」のあり方
(1)知財制度の側面
(2)産業制度の側面
(3)関係性の再整理と国としての意志
(4)残された課題とそれへの対応

4.おわりに

予習として『テレビ進化論映像ビジネス覇権のゆくえ』をあらかじめ読んでいったので、内容をより楽しむことができた(角川のメディアミックスの例が、本では薬師丸ひろ子なのに講演では原田知世だったとかwww)。また今回の主張自体も穏当、かつサブカルチャーを好きであることが伝わってきたことに(それはブログの内容からも)シンパシーを感じたが、「お金」のことにも目配りができているようでポイントが高いなと思った(現状の論議の多くからは、「お金」という観点がばっさり抜けているように感じるのだ)。
個人的に印象に残ったのは下記。

コンテンツビジネスには非貨幣的インセンティブが存在する(感情や義理人情的貸借)。

コンテンツにとって、同時代的体験もキモの部分(例:原田知世)。

→コンテンツの持つイベント性、体験性が薄れてきている?

法的な観点では「放送が通信に還る」。

役務利用放送法は、知的財産をケアしなかったのでワークしなかった。

制度論の先行は無意味。収入シフト(広告費減少)のみ推進力を持つ。

産業=お金の再生産システムである。しかしコンテンツ業界は非貨幣的インセンティブの働く業界である。

保護と義務はバーターである。国家の意思で堂々と悪役を演じることも必要。

著作権法は元々、産業調整法とイコールではないか。

【今後、境がやっていきたいこと】
海外展開と新ビジネスモデル立上げと単価問題。
ミドルメディアの下支え政策(デスバレイ解消)。
「エンタテインメント経済学」の構築。
→エンタテインメントの政策対象としての価値を認めていく。

講演会の後、懇親会に出席。いろいろな方とお話をさせていただいた。