『テレビ進化論 映像ビジネス覇権のゆくえ』

『テレビ進化論 映像ビジネス覇権のゆくえ』(境真良/講談社現代新書/720円)を読み終える。「放送と通信の融合」というキーワードを軸に、インターネットの進化によってメディア・コンテンツ産業に起こった変化と今後の展望を、「テレビ」に代表される映像産業を中心に綴った本である。著者である境真良は、経済産業省コンテンツ産業政策を担当した後、早稲田大学大学院国際情報通信研究科客員准教授を務め、2009年4月より経済産業省に復職とのこと。
官僚→学者というキャリアからだろうか、関連するプレイヤーに幅広く目配りをした感のあるバランスの取れた内容で、現在、メディア・コンテンツ産業が置かれた状況をわかりやすく解説してくれている。今後、映像を映し出す機器がどういったものになるかはわからないが、コンテンツ自体、どのようにユーザーとコミュニケーションを取っていくかをも考えてクリエイトしていく必要があるのだろうなと感じさせた。
余談ではあるが、「テレビの次」、「次のテレビ」の時代には、主要テレビ局は「商社冬の時代」以後の総合商社的な動きをしていくのではないかと思うのだが。
印象に残ったのは下記。

総務省は、放送や通信の情報量を増やすためにコンテンツ制作を行ってきた。大容量のインフラを満たすための、大規模なデータ流通が生まれることが最大関心事である。文化庁の目的は文化の振興である。これはあまりに抽象的なので、文化庁は権利の付与を通じて著作権者自身に何が一番よいかを判断させようとする。これは、結局のところ著作権の保護を強化すればよいということになりがちで、他の産業分野や消費者の利害と対立することが多い。
残る経済産業省は、コンテンツ産業、ひいては産業全体の付加価値、いわばGDPが増加することを最大の目的としている。(P.36-37)

しかし、経験者の実感として言えば、最大の問題は、メディア・コンテンツ産業が本質的に娯楽産業だという点にあるのではないだろうか。メディア・コンテンツ産業は、国の興亡や国民の生死に直結しないし、伝統芸術や舶来の芸術のような権威とも距離がある。だから、いくらGDPを増やすから、情報通信産業の発展に資するからといっても本気で取り組む気になれない。「娯楽の価値」を認められない官僚の心理傾向が、問題の奥底には潜んでいるようにも思える。 (P.38)

当時全盛期にあった映画産業はテレビ産業の発展を恐れたのか、六一年、ギョーカイ内でテレビ放送への劇映画提供を打ち切り、専属俳優のテレビ出演も制限するカルテルを結ぶ。これが後に悪名高い「五社協定」である。(P.46)

あるパーティで、映画業界経験が長かった人の中から「ホワイトアウトなんて映画じゃない。テレビドラマだ」という声が上がった。その時、東宝松岡功会長は「何を言っているんだ。口惜しかったら、それ以上に当たる作品を作ってみろ」と一喝したという。(P.57)

米国の心理学者・マズローは、人の欲求は階層的で、まず生理的欲求を満たすことから始まり、最後は自己実現欲求を求めるという欲求階層説を唱えた。(P.78)

コンテンツの表現方法のデジタル化と、デジタルネットワークの爆発的な普及をあわせて、私は「デジタル二重革命」と呼ぶ。(P.89)

二○○四年に東京国際映画祭で上映された米国映画「ターネーション」は、監督自身が子供の頃から撮りためた映像をマックで編集して作られたドキュメンタリー作品だが、その総制作費用は二百十八ドルに過ぎない(スターウォーズの一億分の一)。(P.91)

海賊版出版社どうしの競争が激化した結果、日本から原版を購入したほうが競争に勝てるという考えに至ったのだそうだ。(台湾漫画事情/P.123)

家電メーカーと電気通信産業では、重視するポイントがずれていることも気になる。家電メーカーは性能を犠牲にしても部品価格を抑えたいという気持ちが強く、価格競争の哲学から抜け出ていない。他方、通信事業者、特にNTTは端末の規格そのものも自らの管理化におきたいという、旧電電公社時代から続く考え方を捨てきれない。(P.127)

※初期DVDでは、プレイヤーによってかからないDVDがあったことを思い出す。

ビデオ以前の編成表は「テレビの前に座らなければならない時間表」だったのに対し、ビデオ以後は「ビデオの録画タイマーをセットする指令表」に過ぎなくなったということだ。その番組を見る時間を、もはやその編成表は束縛しない。(P.134)

単に消費者に商品情報を届けるためだった広告は、これにより消費者の動向を把握したり、その潜在的購入者を特定するためのツールに進化する。それはもう広告というより、メディアを活用した販売促進活動代理業といってよい。もちろん、それに対して企業が支払うものはもはや広告費ではなく、販売促進費というべきものである。
二○○六年現在、日本経済全体のGDPは五百九兆円(名目)で、そのうち広告費は六兆円。それに対して、十三兆円とも十六兆円とも言われる販売促進費・営業費が、この個人情報活用ビジネスの向こうには、存在する。(利用者の消費行動を分析するメカニズムの重要性/P.155)

マーケティングの役割の内、販売促進の重要性がアップする可能性に関し

コンテンツの理論としてこれまでメディア/コンテンツ/キャラクターの三層構造を念頭においてきたが、これに修正を加え、それらすべてを包含する「体験」「イベント」という商品レイヤー(層)を考えなくてはならない段階が来たのかもしれない。(P.187)

機器の分野では、携帯電話の進化が重要だ。個人用常時携帯端末という性質が、プロジェクト運営者に、ブームを構成する要素である一人一人の顧客との個別のコミュニケーション、そしてその一人一人の物理的位置を捕捉する手段をメディアミックス戦略に加える新しい可能性を提供する。(P.189)

大切な視点は、権利を発動するかどうかは権利者に任されており、事前に取り決めを結ぶことで著作権の上に民間ルールを重ね合わせることができるということだ。だから理論的には、契約によってほとんどすべての問題が解決できる。(P.199)

著作権法の問題として語られる事柄の多くが、産業構造調整や契約制度に関する政策として実現できるし、また国際条約との整合性論議を迂回するためにもそのほうが巧みな手法なのだ。(P.205)

GPL は、あるソフトについて、(1)書き換える元になるソースプログラムと一緒に配布すること、(2)そのソフトから派生したソフトもGPLに従うこと、という二つの条件に従えば無償で配布してよく、それを入手した者は自由にそれを利用してよいというものである。(P.209)


『テレビ進化論 映像ビジネス覇権のゆくえ 』