コンテンツ学会第6回講演会『変質するContent Play』



コンテンツ学会第6回講演会『変質するContent Play』(講師:小寺信良)に参加する。もともと告知されていたのが、『変質するネットユーザのコンテンツ"利用"』というタイトルだったので、今後のネットユーザーの動向に関し、考察の材料が得られればと思って参加してみた。
講演は、「娯楽享受の変遷」についての概略解説からスタート。小寺氏の話はそれほど系統だったものではなかったので、以下、時系列に沿って印象に残ったものを記していきます。
小寺氏の定義によると、コンテンツの歴史は「実演の時代→記録の時代→放送の時代→PLAYの時代→Play本末転倒時代→一億総クリエイターという勘違いの時代」という流れとのこと。またCGMがコンテンツを生み出すのではなく、CGMそのものがコンテンツ化しているらしい。コンテンツの特性として、音楽などの「記憶反芻型」と映画・TV・ゲーム・演劇といった「新規体験型」があり、CGMは2つの特性をあわせたものだとの話もあがった。
リエーターの定義として、コンテンツの創り手が上げられた。ただし、監督がビデオカメラを回すだけでは商業作品になるクオリティにはならず、照明技師など技術者たちの保護も必要であるとのこと。技術者たちのユニオンがないのも問題らしい。
……私見:小寺氏がもともと映像の編集者であったことが、こういった話につながったように思われる。
マチュアはクリエイターになりうるかという問題に関して。小寺氏はニコニコモンズにフリーの映像素材を12本アップロードしているが、そのダウンロード数は累計で590。その素材が使われている作品数は3本で、いずれもアニメのマッシュアップ映像の一部としてしか使われていない。ちなみに手塚治虫のキャラクターもニコニコモンズに提供されたが、それら素材のダウンロード数は6,000で、作品数は1。
小寺氏の結論として、アマチュアはクリエイターになるのは難しい。また素材から作品を作り出す能力はない。トレースしたり、パズル的に組み合わせたりすることはできるが、それを著作物とするかの議論は難しいとのこと。
……私見:小寺氏はしきりと「私はクリエイターだから」と言っていたが、ほんとにクリエイターなのだろうか? 代表作はなんという作品なんだろう?
クリエイターとは言えない二次利用者が出現している。パッケージはオールドファッションな楽しみになり、ネットでコンテンツが展開されていく。ネット上で広く頒布されることで、著作権侵害になっているものもある。ノートにキャラクターを貼り付けたりといった、人間がこれまでやってきたことが、メディアが変わったことで、例えばmixi日記に画像や映像を添付したりするなど行為が著作権違反になっている。ユーザーとしては、ジャケやキャラクターを貼り付けるという行為は、宣伝してやっているという意識で、フェアユースが認められれば、コソコソと後ろめたくやることではなく、大手を振ってできるのではないかとのことだった。
【質疑応答】
Q(金正勲慶應義塾大学准教授):小寺氏にとってのクリエイティビティとは?
A(小寺氏):模倣であるとバレないくらいのミクスチャーできる人、コラージュは本素材と離れてはおもしろくない。
……私見:創造には模倣が付き物だが、オリジナリティがあってこそのクリエイティブではないだろうか? クリエイティブを、コラージュとかミクスチャーでしか語れないのは微妙。
Q(金正勲慶應義塾大学准教授):実際にコンテンツを使いたい人が、コンテンツを持っている人に対し、それを使うよう説得できるビジネスモデルがないのが問題なのではないか?
A(小寺氏):TV局の番組終わりのクレジットを見ると、局と制作会社がクレジットをされていて、コンテンツを持っている人たちの間で調整ができないのではないか。
…… 私見:質問に対する答えとしては、やや不適当ではないかと感じられた。正直、この現状認識の浅さには落胆。個人的には、質問自体はいい所を突いていると感じた。というのも、コンテンツを持っている人がかけたコストに、パフォーマンスが追い付いていない前例が多いのである。収益の配分の調整であるとか、契約条件のすり合わせに始まり、メタデータの作り起こしとか、データの作成とか、様々な作業を重ねて投入した結果が、結局微々たる売上で、しかもそのサービスがすぐに中止になってしまったり、そういう経験を積み重ねると、新しいサービスへの取り組みは及び腰にもなるだろう。
Q(事務局の方?):(リンゴを例えに出し)「誰々さんの家のリンゴはおいしいよ、食べてみて」と言って、実際にリンゴを取ってきて、友人に渡すのはだめだが、「誰々さんの家のリンゴはおいしいよ、買ってみて」というのはOK。コンテンツの場合、その慣習は有形財なのか無形財なのか?
A(小寺氏):回答らしい発言はなし。
その後、津田大介氏から、ネット権の論議には、(1)ネット権、(2)岸氏によるアンチフェアユース (3)境氏の制度の3パターンがあり、津田氏自身の考えでは、許諾権は失われて、報酬請求権へ移行するのではないかとの発言があった。
最後に、小寺氏は「クリエイターではない人たち(技術系スタッフ)への報酬を担保するのをどうするかがミッション」と言っていたが、この場の締めのことばとしても首を傾げざるを得なかった。
個人的には、もしフェアユースが確立された場合、小寺氏は自身の著作を、デジタル化されて私的にWebにアップされることを認めるのだろうか、ということに興味がわいた。