コンテンツ学会第5回講演会『メタデータとコンテンツ流通』



コンテンツ学会第5回講演会『メタデータとコンテンツ流通』(講師:深見嘉明)に参加する。現状のコンテンツ配信で必要とされているメタデータに関し、いろいろと疑問に思っていることがあるため、その解決につながればなと思いながらの参加である。
講演は、「・コンテンツとは何か、・コンテンツ流通を可能にしているものは何か、・ウェブ登場以前と以後の違い、・検索技術の有効性とその先にあるもの、・アーキテクチャメタデータ、・コンテンツ「流通形態」の未来」といった流れで進み、メタデータに関しては、「YouTube」のタグに代表される、ユーザーによって付加される文脈情報に重きを置いての話となる。深見氏の意見は「コンテンツ流通プラットフォームに求められる要素は、メタデータを生成しやすい、利用しやすい、管理しやすい」ということと「人間の手による分類、人間の感性によるメタデータ対応、人間にとってのReadableなメタデータが必要」とのこと。
言わんとすることはわからないでもないのだが、発信者(B0)→流通業者(B1)→流通業者(B2)→……→売り場(Bx)→ユーザー(C)という流通経路の中でどのようにメタデータが機能しているのか、今後、必要とされうるものは何か的な話を期待していたこともあり、個人的には違和感を持った。B0からBx(始点からユーザーとの接点)まで、それぞれが最小の手間(人手が加わると流通スピードが遅くなる)で最大の効果を図れるようなメタデータとはどういうものかに関心があるのである。ユーザーのタグ付加などによるメタデータのリッチ化は「売り場(Bx)→ユーザー(C)」の問題であり、B to Bを円滑に進めるための(もちろんB to Cがより円滑になることが最終的な目的ではありますが)ものではなく、これは「メタデータとコンテンツ流通」というよりも「メタデータとコンテンツリテイル」というべきものじゃないだろうかと思った。
つまりこの講演という「コンテンツ」に対して、「メタデータとコンテンツ流通」という「メタデータ」は適切ではないんじゃなかろうかと。
この講演を聞いて、メタデータは戸籍のようにコンテンツ固有のものとするべきだろうか、動的にさまざまなキーワードを付与していくべきなのか、固定化することでコンテンツの発展の可能性を狭めないか、ノイズが増えることでユーザーに届かなかったりすることはないのか、はたしてユーザーはそこまでの情報を欲しているのか、いろいろと考えることが増えてしまったのだった。