『逝きし世の面影』



『逝きし世の面影』を読み終える。幕末から明治に日本を訪れた外国人による日本に関する記述から、当時の日本がどういった国であったかを考察していく著作である。当時の日本人にとっては「当たり前の日常」で記述に値しないことが、異邦人にとっては「異質な文化」で記録に値することであり、その異文化の出会いのおかげで、当時の日本の「素顔」が現代に伝わることになったわけである。
幕末・明治期と現代は、田園都市である“江戸”と高層建築の林立する“東京”の違いが象徴するように、いろいろな点で大きく異なっているのだろうと思う。しかし 例えば、「日本人のように遊び好きといってよいような国民の間では、子供特有の娯楽と大人になってからの娯楽の間に、境界線を引くのは必ずしも容易ではない」(逝きし世の面影/P.70/原典:グリフィス『明治日本体験記』) という記述から、「大人になっても少年マンガやコンピュータゲームを楽しむ日本人」を思い出したりしたことを始めとして、外国人によって残されたさまざまなエピソードから、明治の人と現代人との時を越えてつながるポイントを感じ、なんだかゆかいな気持ちになってしまった。

『逝きし世の面影』