『僕の叔父さん網野善彦』



『僕の叔父さん網野善彦』(中沢新一集英社新書/660円)を読み終える。『すばる』に掲載された歴史学者網野善彦への追悼文に、著者が加筆修正したものである。網野善彦に関しては、大学生の時に法制史のゼミで著書を読んでいたものの、北方謙三南北朝もの、隆慶一郎の著作などでその研究の一端にようやく触れられたような気がした程度のダメ読者なのだが、柴尾英令さんがおすすめしている文章を読んで、読んでみたくなったのである。
偉大な思考が生まれていく瞬間、育っていく過程を読むのは刺激的でおもしろかったし、網野史観の入門書的な読み方もできて、ひじょうに勉強になった。しかしそれ以上に、通奏低音のような中沢新一網野善彦への敬意が感動的な本だった。
で、個人的にはアジール(避難地)の捉え方に興味をひかれて、つらつらと現代におけるアジールの所在は?なんて考えていたんだけど、もしかしたら2ちゃんねるアジールのひとつの形態なのかもしれないな〜と。そこで流通する言語は、読解できない人にとっては結界として作用するような気がするし、たまに出現する“神、いわゆるゴッド”もその象徴であるようにも思える。“名無しさん”というラベルを貼られたぼくらは、鬱蒼としたスレッド群の中で無縁のものになっているのかもしれないっすね。

『僕の叔父さん網野善彦』