私の人生を変えたファミスタ

Everything You’ve Ever Dreamed(id:Delete_All)のフミコフミオ(ヨシフミ)さんと平民新聞id:heimin)の平民金子さんがファミコン日記を書いていて、それがあまりに懐かしかったので便乗して書いてみる。
http://d.hatena.ne.jp/Delete_All/20090504#1241442382
http://d.hatena.ne.jp/heimin/20090505/p1

私が東京で一人暮らしを始めて真っ先に買ったのは、ツインファミコンとAV端子つきのテレビだった。自宅にいた頃はファミコンを買ってもらえなかったので、待ちに待ってのお買い物である。せっかく待ったのだから、値段は高かったものの思い切ってディスクシステム付きのツインファミコン。RF接続の友人のファミコンに比べ、画質がクリアなことが自慢だった。
初めて買ったソフトはディスクシステムの『リンクの冒険』だったと思うが、クリアできなかったことだけ覚えている。そんなぬるいプレイヤーだった私が大いにはまり、とにかくひたすらやりまくったのは『ファミリースタジアム』('86)だった。
自分の好きな野球チームを自分自身の手で動かせる。思い入れを持ってプレイできるおそらく初めてのゲームだったからだろう。
近くにゲーム好きが多くいたのも幸いした。ひいきの野球チームがそれぞれ違っていたのも、都合がよかった。
私のチームはドラサンズ。'86のドラサンズは打線が弱かったものの、エースの「こまつ」をはじめとする投手陣が粒ぞろいで、投手戦に引き込むのが私の勝ちパターンだった。気をつけるのは、ホームランのみ。緩急、投球のタイミング、コースの出し入れ、ボール球の使い方。打線が弱いからこそ、常に細心のピッチングを心がけた。
私はドラサンズの勝利に大いに喜びその敗北に激怒し、何連戦も試合をすることで、その投球術(笑)に磨きをかけていった。
そんな『ファミスタ』ばかりやっていたアホ大学生が、ゲーム雑誌に掲載されていた「アルバイト募集」の告知に応募したのは、「ゲームをしてお金をもらえたらラッキーかも」などというあさはかな考えの下。面接場所に指定されたのは出版社ではなくマンションの一室で、その部屋には30代の男性と20代の男性の2人がいた。面接官らしい。自己紹介もそこそこに、30代の男性の指示で、20代の男性と『ファミスタ』の対戦をすることになった。
指定されたタイトルは、『ファミスタ '87』。86と比べて投高打低になったバージョンである。
チーム選択は私を優先させてくれた。私はもちろんドラサンズ。強いチームを選択してもかまわないのに、あえてドラサンズ。面接官の表情が微妙に変化する。
面接官が選択したのはカーズ。86の時から投手力の強いチームであり、87でも打ちにくいチームのひとつである。つまりこの面接官は「わかっている」。
試合は予想通りシビアな投手戦になった。面接官の使う「きたへふ」に翻弄され、ドラサンズ打線はなかなか走者を出せない。一方、私の「こまつ」も絶好調。カーズ打線のバットはくるくると空を切る。
両チームとも得点の気配のないまま、終盤に突入。継投が頭にちらつく。
カキン。
たぶん「おちあい」だったと思う。ドラサンズの勝利と私の面接合格を決めたのは、一発のホームランだった。

その編集プロダクションがアルバイトを募集していたのは、『ファミスタ'88』の攻略本を作るためだった。私が採用されたのは、本当にタイミングだけだったのだろう。それが『スーパーマリオ』の攻略本であれば、まず不採用だったと思う。日々、『ファミスタ』のデータを取るのは大変だったが、ゲームをしてお金をもらえるのはラッキーだった。で、その仕事を通じて得た人脈を基に、大学卒業とともにあるコンテンツ系の会社に入社し、今に至る。
たまに考えることがある。あの時、「こまつ」に致命的な失投があったら、どうなっていたんだろうと。
仮に試合に負けていたとしても、面接官と好ゲームをしたことで採用はされたかもしれない。しかし勝ったからこそ、今の自分はある。

あれだけ好きだった『ファミスタ』もここ数年やっていない。ゲーム自体からも縁遠くなってしまった。しかしユニクロがゲームTシャツを出したのを、つい買ってしまったのは、まだゲームに対するなんらかの想いが残っているからだろう。
私を面接した当時20代の男性とは、おかげさまでいまだに付き合いがある。ひさびさに連絡して、『ファミスタDS』でもやってみようか。おたがい指が動かなくなっているかもしれないが。