『主人公は僕だった』



映画『主人公は僕だった』を観る。平凡な生活を送っていた主人公が、自分という存在が何者かによって執筆されている小説の主人公であることを認識してしまったことで、その小説の結末を自分の望む方向にすべく様々な行動を起こしていく、というストーリーの映画である。メタフィクション的な構造を取っており、「主人公・ハロルドのいる世界」---「ハロルドが主人公の小説を書いている作家のいる世界」-----「映画の観客である我々」という階層構造になっている。メタフィクションっぽい小説も好きなのでもともと楽しみにしていた作品なのだが、ストレンジな雰囲気とそこはかとないユーモアが楽しい、なかなかいい作品だった。おすすめ。
余談だが、「自分の小説」が悲劇か喜劇かで主人公が悩むシーンを観て、小説『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』の前書きのインタビューでポール・オースターが語っていた「登場人物が死んで舞台が終わるのが悲劇で、終わっても登場人物が舞台に立っていて、人生が続いていくのが喜劇」ということばを思い出した。その定義に従えば、実際の人生もすべからく「死」で終わる「悲劇」なわけで、結末が悲劇か喜劇かで思い悩むことはそんなに意味があることじゃないんですよね。まあ、このお話は映画なので、結末がおもしろくないと困っちゃうわけだけど。

『主人公は僕だった』